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今季は、石澤選手がノルウェーをベースにチームCBAに参画し、昨日から氷上練習開始。4ヶ月ぶりの表情もチームメイトからの刺激もあり、上場の滑り出し!そして小田選手が来月からSLCで夏練習を開始。トップを目指す選手はどんどん海外へ。自分が「やりたい」と思うのであれば、連絡ください。こちらでコーディネートします!
そんな中、今メディアで注目の水泳の世界選手権。北島選手が銀メダルを獲得しました。復活というか、頂点の位置を保持することの難しさに挑戦しています。その背景には、やはり「まわりの刺激」が支えになっているようです。
以下は、スポニチからの記事です。
北島に刺激を与えているのが2年前から所属する米国の南カリフォルニア大を練習拠点とする社会人チームの仲間だ。 月100ドル(約7700円)を払えば基本的に誰でも参加できるが、選手の自主性を尊重するデビッド・サロー・コーチの指導法と設備にひかれ、北京五輪男子1500メートル自由形金のメルーリ(チュニジア)、今大会女子平泳ぎ2冠のソニ(米国)らが在籍している。その仲間に「(世界に)もう1回トライしてこいよ」と声をかけられたことも本格復帰の要因だった。当初は英語が苦手で十分コミュニケーションがとれなかったが「コースケの英語はかなり上達したよ」とメルーリは言う。
最近は北島を追うように09年世界選手権200メートル銀のシャントー(米国)、現役復帰した00年シドニー五輪100メートル銀のモーゼス(米国)ら平泳ぎの強豪が続々加入。サロー・コーチは「コースケは練習からエリック(シャントー)たちと競い合っているよ」という。日本のようにコーチの細やかな指導はないが、北島は一流選手と切磋琢磨(せっさたくま)して力をつけている。
【北京五輪後の北島】
☆08年8月 北京五輪でアテネ五輪に続く100メートル&200メートルの2冠を達成。現役続行か引退かで苦悩する。
☆09年4月 活動拠点を米ロサンゼルスに移す。
☆同6月 南カリフォルニア大の社会人チームで、デーブ・サロー・コーチのもと、練習を再開。
☆同7月 テレビ解説者として世界選手権ローマ大会を観戦。目の前で自身の持っていた100メートルと200メートルの世界記録を更新される。
☆同11月 競技復帰を決意し、米カリフォルニア州の記録会に出場。
☆10年4月 2年ぶりに日本選手権に出場。50メートル予選でいきなり日本新をマークするが、決勝2位。200メートル4位、100メートル2位で無冠に終わる。
☆同8月 パンパシフィック選手権(米国)で100メートル、200メートルともに同年世界ランキング1位のタイムで優勝して復活アピール。
☆同11月 広州アジア大会は右肩、両肘の負傷などで100メートル4位、200メートル棄権。
☆11年4月 代表選考会では100メートル1位、200メートルはレース中に左内転筋を肉離れしながら2位で代表入り。
そんな中、今メディアで注目の水泳の世界選手権。北島選手が銀メダルを獲得しました。復活というか、頂点の位置を保持することの難しさに挑戦しています。その背景には、やはり「まわりの刺激」が支えになっているようです。
以下は、スポニチからの記事です。
北島に刺激を与えているのが2年前から所属する米国の南カリフォルニア大を練習拠点とする社会人チームの仲間だ。 月100ドル(約7700円)を払えば基本的に誰でも参加できるが、選手の自主性を尊重するデビッド・サロー・コーチの指導法と設備にひかれ、北京五輪男子1500メートル自由形金のメルーリ(チュニジア)、今大会女子平泳ぎ2冠のソニ(米国)らが在籍している。その仲間に「(世界に)もう1回トライしてこいよ」と声をかけられたことも本格復帰の要因だった。当初は英語が苦手で十分コミュニケーションがとれなかったが「コースケの英語はかなり上達したよ」とメルーリは言う。
最近は北島を追うように09年世界選手権200メートル銀のシャントー(米国)、現役復帰した00年シドニー五輪100メートル銀のモーゼス(米国)ら平泳ぎの強豪が続々加入。サロー・コーチは「コースケは練習からエリック(シャントー)たちと競い合っているよ」という。日本のようにコーチの細やかな指導はないが、北島は一流選手と切磋琢磨(せっさたくま)して力をつけている。
【北京五輪後の北島】
☆08年8月 北京五輪でアテネ五輪に続く100メートル&200メートルの2冠を達成。現役続行か引退かで苦悩する。
☆09年4月 活動拠点を米ロサンゼルスに移す。
☆同6月 南カリフォルニア大の社会人チームで、デーブ・サロー・コーチのもと、練習を再開。
☆同7月 テレビ解説者として世界選手権ローマ大会を観戦。目の前で自身の持っていた100メートルと200メートルの世界記録を更新される。
☆同11月 競技復帰を決意し、米カリフォルニア州の記録会に出場。
☆10年4月 2年ぶりに日本選手権に出場。50メートル予選でいきなり日本新をマークするが、決勝2位。200メートル4位、100メートル2位で無冠に終わる。
☆同8月 パンパシフィック選手権(米国)で100メートル、200メートルともに同年世界ランキング1位のタイムで優勝して復活アピール。
☆同11月 広州アジア大会は右肩、両肘の負傷などで100メートル4位、200メートル棄権。
☆11年4月 代表選考会では100メートル1位、200メートルはレース中に左内転筋を肉離れしながら2位で代表入り。
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