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http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20100512ddn013040038000c.html
ニュースUP:メダル2個生んだ経営哲学=運動部・石井朗生
<おおさか発・プラスアルファ>
◇目指すは常に世界一
組織は人であるというが、人をつくるのもまた組織のトップにちがいない。日本電産サンキョー(本社・長野県下諏訪町)は、バンクーバー冬季五輪の スピードスケートで2人のメダリストを出した。親会社の日本電産社長でもある永守重信会長の経営哲学が、五輪のメダル獲得にどう生かされたのか。永守会長 の言葉から改めて探った。
ひな祭りの3月3日、永守会長は京都市の日本電産本社で、ご褒美を用意して2人のメダリストを待っていた。スピードスケート男子五百メートルで、 銀メダルを獲得した長島圭一郎選手と銅メダルの加藤条治選手がバンクーバーから帰国したのだ。
銀の長島選手には1000万円、銅の加藤選手には600万円の報奨金が贈られた。さらに長島選手は2階級特進で係長に、加藤選手は主任に昇進し た。報奨金は06年トリノ五輪で用意した額の2倍で、増額分は永守会長のポケットマネーだった。また、今村俊明監督らスケート部のスタッフにも昇進や報奨 金が用意された。
「努力して目標を達成すればいいことがあると示したい。日本のメダリストに対する待遇は極めて悪く、報われない。今後、『それならつらい練習をす るのは嫌』という子どもが出てはダメだ」
永守会長はそう説明する。だが今村監督は言う。「物的支援よりも、会長から目指す物に対して全力を尽くす大切さを教えてもらったことが大きいので す」
■マイナーだから
精密機器メーカーの三協精機が日本電産のグループ会社となったのは03年。05年に現社名へ変更した。債務超過に陥った会社に永守会長は、コスト 改善はもちろん、「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」の精神を浸透させて改革し、黒字体質に変えた。
57年創部で多くの五輪選手を生んだスケート部も、会社の再建計画では当初、廃部の方針だったという。だが永守会長はこの方針を撤回し、名門の灯 を残した。
「スケート部は(会社に付いてきた)『グリコのおまけ』と言われたが、厳しいなかでも予算を削らないものはある。三協の創業者の思いとかを読ん で、これは絶対に残さなければ、と思った」
スピードスケートでは企業チームの廃部が続いていた。98年長野五輪に代表を送り出したコクド、王子製紙、アルピコ、佐田建設なども今はない。
「サッカーや野球は華々しくてどこも手を挙げるが、スケートはメダルがなかったら脚光を浴びない。だが、よそがやらないマイナースポーツだから、 なおさら感動が大きい。(年間経費)4億~5億なんて安いもの。会社が最高益をあげてもこんな感動はない」
バンクーバー五輪を前に、永守会長は長島、加藤両選手に「金銀だぞ。銅はダメだぞ」と発破をかけた。永守会長は常々「1番以外はビリ」と言ってき た。毎年シーズン終了後に社内で行う活動報告会では、永守会長が2位以下の選手をけ飛ばすようなイラストが張り出されたこともある。
■目的あるから努力
一見、非常に厳しく思える要求である。しかし、今村監督はこう受け止めている。「会長が言うには、会社の製品でも利益が出るのは世界で1番のシェ アを持つものだけ。2番だと利益は少し、3番目なら赤字。だから会社は常に世界一を目指す。スケート部も同じことを求められているだけだと思います」
06年のトリノ五輪では、当時世界記録を持っていた加藤選手が金メダルを期待されながら6位、長島選手も13位と惨敗した。今村監督は振り返る。 「金メダルを取りたいという気持ちが世界一なら、いくらでも努力できるし実力も上がる。そのためにはまずリーダーである私が意識を高くし、選手のモチベー ションをいかに世界一へ導くかが重要。トリノの後に、そこが足りなかったことを会長が気づかせてくれた」
会長の意思を受け止めた今村監督はバンクーバーに向けて、3人のコーチと意見交換を重ねた。選手が金メダル獲得を強く意識するような雰囲気を作 り、選手個々に合った指導を進めることにした。その成果が五輪本番で表れた。金メダルこそ取れなかったものの、1回目の滑走で6位と出遅れた長島選手は2 回目に転倒ギリギリの勝負を挑んで浮上。加藤選手も2回目の中盤に滑りが乱れたが、メダルは逃さなかった。
永守会長は会見で、「1人だけが金を取るより、2人の銀銅の方が価値がある」と言ってたたえた。
同席していた今村監督は「会長、いつも言ってることと違うでしょ、と思いました」。全力の勝負を挑んだ結果をねぎらう会長の親心も甘く聞こえるほ ど、永守イズムは浸透している。
■次は抜き返す
スケート部の選手は6人で全員が短距離専門(うち2人は今月、引退を表明)。かつては中距離、長距離選手もいたが、部の存続には世界で結果を残す ことが必要と考え、日本が質の高い技術とトレーニングのノウハウを誇る短距離に絞った。永守社長は今、多い時は約30人がしのぎを削った三協時代の部史を 顧みながら、発展をもくろむ。
「次の五輪までに少なくとも選手を2ケタに。五百メートルだけでなく他の種目でもたくさん五輪の選手を出してメダルを増やしたい。昔の全盛期に戻 したいし、わが社がやめたらアウト」
金メダルという目標も捨ててはいない。長島選手と加藤選手が韓国の牟太〓選手に金メダルを奪われたことが、その思いに拍車をかける。
「例えばテレビもサムソン、LGなど韓国企業に日本の大企業のシェアが奪われている。スポーツでもやられ、経営者としては忸怩(じくじ)たる思 い。スケートでは次回は必ずやる。強化を続けられるように本業も頑張らないと」
その決意は選手らも同じだ。今村監督は言う。「4年後に失敗したらどうなるか考えるとすごい緊張感がある。でも今より高い意識を持ってやればどこ まで発展できるのか、という意欲も大きい」。すでにもう、14年のソチ五輪を見据えたトレーニングが始まっている。
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